ナウマンゾウ
子どもたちを前にナウマンゾウの化石を取り出すと身を乗り出してきます。それだけ図鑑などで目にしているのでしょう。絶滅した大型哺乳類としては最も知られた存在かも知れません。
ナウマンゾウというと長野県野尻湖での発掘が有名です。野尻湖ではボランティアを含めた大規模発掘が毎年行われており、このしっかりした組織力がその名を高めています。行政やボランティア、そして研究者が参加してプロジェクトを進めていく好例です。
さて有名なナウマンゾウですが、名前の由来になったエドムント・ナウマンの事を少し記しておこうと思います。
ナウマンゾウで有名なナウマンですがゾウの研究者といった訳ではありません。明治初期に日本の技術指導などを行っていた「お雇い外国人」の一人としてドイツからやってきました。その時、若干20歳。日本の地質を調査し後進を育てる事がその仕事でした。東京開成学校(現東京大学)の教授として迎えられ、全国地質図を在任中に仕上げます。
多感・多才で日本の民俗、絵画、人々の暮らしなどにも関心を寄せています。滞在はおよそ10年に及びました。
私たちに伝わるナウマンの業績がいくつかあります。日本列島中央に連続するフォッサマグナ。この地形を見いだし、言葉をあてたのもナウマン。北上山地や阿武隈山地、関東山地、赤石山脈などを名付けたのもナウマンです。そして行政・教育面では地質調査所を設立を具現化しました。地質調査所は現在の独立行政法人産業技術総合研究所 地質情報センターへとつながっていき、日本の地質調査の基幹をなしています。
また余談ですが、いくつかの貝塚の発見もしており大森貝塚もモースと前後して確認していたようです。
このようなエドモント・ナウマン。かつて調査を依頼された神奈川県横須賀市で見つかったゾウの化石をナルバダゾウ(アジアゾウ)としますが、その後各地で同種のゾウ化石が産出します。古生物学者の槙山次郎が浜名湖で見つかった化石と横須賀の化石が同種であり、かつナルバダゾウとも区別できることを見いだしました。この槙山がナウマンの業績を鑑みてナウマンゾウと命名します。
名前には由来があり、物語がある。
そんな視点で眺めるのも奥行きを深めてくれます。
下記を参考にしました。エドモント・ナウマンの実像を伝えてくれます。
「地質学者ナウマン伝」矢島道子著 朝日新聞出版